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つ ち ぶ え
その1 土笛


 この土笛は、蔵王町の円田字湯坂山(ゆざかやま)にある『湯坂山B遺跡』から出土した、今から4200年ほど昔のものです。高さ6cmほどで、大砲の弾のような形をしています。てっぺんに丸い穴が開けられていて、これが吹き口になります。音の出し方は、ビンを吹いて「ボ〜〜〜」と鳴らすのと全く同じです。うまくいけば「ポ〜〜〜」という、素朴な、かわいい音が鳴り響きます。

 湯坂山B遺跡は、蔵王町東部の高木丘陵という丘の上に位置する縄文時代中期後葉の集落跡です。おびただしい量の遺物が散布する遺跡で、最近では言わなくなりましたが、以前は『蔵王町5大遺跡』のひとつとされていました。平成2・3年に道路建設に先立つ発掘調査が行われ、20軒近くの竪穴住居跡をはじめ多くの遺構が発見され、また、大量の遺物が出土しました。この土笛もその時の出土品です。縄文時代の楽器というのは、全国的にも発見例は多くありません。そのような中にあって、土笛の発見例は多い方だと言えるでしょう。もっとも、これまで宮城県内で発見されている土笛の数は、おそらくはほんの数例(平成3年の湯坂山B遺跡発掘調査当時で、県内2例目とされていました)でしょうから、この土笛がいかに珍しい遺物であるかがうかがえます。

 近年、三内丸山遺跡をはじめとした全国各地の縄文時代遺跡の発掘調査成果が、一般の方々にも広く理解していただけるようになり、縄文時代に生きた人々が未開な野蛮人ではなく、高度な水準の文化をはぐくみ、豊かな社会生活を営んでいたということが周知されるようになりました。ただ、彼らのはぐくんでいた文化がどのようなものだったのか、営んでいた社会がどのようなものだったのか、そういった『形のないもの』については、残念なことにほとんど何もわかっていません。私たちが彼らの暮らしぶりを知るための手がかりといえば、数千年の時間をへだてて《奇跡的に》残った遺跡から見つかる、遺構や遺物以外にないのです。そういうわけでこの土笛も、今の私たちに理解できることといえば、その材質、形、大きさ、使い方(鳴らし方)、そして鳴らしたときの「ポ〜〜〜」という音色くらいに過ぎません。

 湯坂山の集落に暮らした縄文人が、どのような気持ちを込めてこれを作ったのか、どのようなとき、どのような気持ちを込めてこれを吹き鳴らしたのか、そして、その素朴な音色を聴いてどのような気持ちになったのかはわかっていませんし、おそらくはこれからも解明されることはない、永遠の謎なのでしょう。ただ、現代に生きる私たちにとって大切な文化である「音楽(人工的な音を発生させる行為)」が、4千年以上も昔に生きた縄文の人々にとってもまた大切なものだったのだろうなぁ、ということだけは、この土笛によって伝わってきます。
 
※『土笛』をはじめとした湯坂山B遺跡出土遺物は、蔵王町のおとなりの『村田町歴史みらい館』に常設展示してあります(蔵王町からの寄託展示)。
2009年4月20日更新<Y>


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