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平安時代の井戸跡の調査−西屋敷遺跡
 
写真中央の杉林の部分に土塁(土を積み上げた土手)があり、その外側で堀跡を発見しました。写真右端の一段低い水田の部分も、堀跡と推定されます。
 
発見された西小屋館跡の堀の跡(写真中央)。写真左奥に見えるのが町指定文化財「奥平家住宅」です。
 西屋敷遺跡の発掘地点は、西小屋館跡(にしごやたてあと)のすぐ西側にあたります。

 西小屋館跡は、中世(鎌倉〜戦国時代、約800〜400年前)のこの地域を治めた領主の居館(きょかん、屋敷)の跡と考えられています。

 江戸時代に書かれた「小村崎村 風土記御用書出」には、兵衛館主の家臣村上氏が館主と記されています。

 そして現在、西小屋館跡の北側に居を構える村上氏末裔の奥平家には、村上氏に関わる知行安堵状などの文書が伝えられています。

 西小屋館跡は五角形の区画を持つ館跡で、北側と西側には、高さ3mほどの大規模な土塁(どるい、土を積み上げた土手)が残り、南側は周囲よりも一段低い水田が細長く延び、堀跡と推定されていました。

 今回の発掘調査では、土塁の西側に沿って延びる堀跡を発見しました。堀跡は幅3.8m、深さ1mほどで、南北に約50mほどを確認しました。

 土塁の北側に沿って延びる窪地状の部分が確認されているので、北側では堀跡が土塁に沿って屈曲し、東の方向へ続いていると推定されます。南側は土塁の南端にある池の付近で東側に屈曲して、南辺の堀跡につながっていると考えられます。

 土塁に沿って堀跡が確認されたことから、土塁は堀を掘ったときに出た土を積み上げて作られたと考えられます。

 西小屋館跡は円田盆地に面した平地に作られた館ですが、今回の発掘調査で土塁と堀に囲まれていたことが判明したことから、非常時の守りを意識した館だったことが確かめられました。

西小屋館跡と西屋敷遺跡の平面図。西小屋館跡はきれいな五角形の形をしていることが分かります。土塁の西側に沿って堀跡が発見されました。
発掘調査の様子。堀跡に埋まった土を、スコップを使いながら人力で掘り下げて行きます。
堀跡と土塁の南端部分(南から)。堀跡は土塁の南端にある池の部分で東へ屈曲し、さらに南側の堀跡へ続いていると予想されます。 堀跡の北端部分(西から)。調査区の端で東へ屈曲していることを確認しました。土塁に沿って延びる窪地部分に続いていると予想されます。
堀跡の断面。東半分は調査区外へ続いていますが、幅3.8m、深さ1m以上の規模だったことが分かりました。 西小屋館跡の西側に隣接して作られていた溝の区画。何度も掘りなおされたり、作り替えられたりしたことが分かりました。
平成21年9月17日更新
 
 

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