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ゆ  ざ  か  や  ま  B   い  せ  き

湯坂山B遺跡で出土した縄文土器(縄文土器中期後葉)

 
  湯坂山B遺跡で出土した縄文土器(縄文時代中期後葉)
アルファベットの「C」の形をした文様が付けられています。縄文土器の文様のモチーフは、時代や地域によって変化に富んでいます。
 
  発掘調査の様子
いくつもの竪穴住居跡が密集して見つかっています。作業をしている人と比べると、住居の大きさが分かります。
 
  竪穴住居跡
2軒の竪穴住居跡が重なって見つかっています。大きい方は直径が9mあり、8本の柱穴と、複式炉があります。
 湯坂山B遺跡は、円田地区の高木丘陵と呼ばれる丘の上にあります。町道を拡幅する工事に伴って、平成2・3年に発掘調査が行われました。

 調査の結果、丘の頂上に近い一帯から、竪穴住居跡13軒、貯蔵穴(ちょぞうけつ)8基などが発見されました。整理用コンテナで60箱を超える多量の土器や石器のほか、土偶や土笛といった珍しい遺物も出土しました。竪穴住居跡などから出土した土器につけられた文様から、今から4,200年ほど前(縄文時代中期後半、大木9式期)の人びとが暮らしていたことが分かりました。

 発掘された竪穴住居跡は、地面を円形に掘り下げたところに柱を立て、屋根を地面まで葺き下ろした構造になっています。外観は、昔話に出てくるようなおじいさんとおばあさんの家の、茅葺き(かやぶき)屋根だけを地面に置いたような感じです。

 竪穴住居跡のほとんどは、直径が5〜6mほどの大きさでしたが、中には直径9mの大型のものも発見されています。住居の中には長さ4mほどの「複式炉(ふくしきろ)」と呼ばれる大きな炉が作られており、炉を取り囲むように8本の大きな柱と、壁際に多くの小さな柱を立てていました。

 竪穴住居には、一般的なサイズの直径5mのもので一家族4〜5人が寝泊まりしたと考えられています。畳にして12畳ほど(柱や炉の部分を含む)の空間で、調理や食事、手しごと、就寝といった日常生活を送っていました。皆さんは12畳と聞いて、広いと感じるでしょうか、狭いと感じるでしょうか? いずれにしても当時の人びとは私たちが家の中でする家事の多くを屋外で行ったでしょうし、一日の多くの時間を屋外で過ごしていたのでしょう。

 ちなみに直径9mの大型竪穴住居の場合、39畳ほどの空間が確保されています(柱や炉の部分を含む)。ムラのリーダーのような特別な人の住居だったのかもしれませんし、集会所のように使われたのかもしれません。ひょっとしたら、子だくさんの家族がにぎやかに暮したのかもしれませんね。

 発見された竪穴住居跡の中につくられていた複式炉は、主に宮城・山形・福島・新潟など東北南部のムラでのみ作られていた特殊な炉です。住居の床を浅く掘り窪めた部分(掘り込み部)と河原石を敷き並べた部分(敷石石組部)、土器を埋め込んだ部分(土器埋設部)が連結したもので、土器埋設部が住居の中央に近いところにあります。

 複式炉の使われ方には諸説がありますが、掘り込み部から燃料をくべ、敷石石組部で火を焚き、土器埋設部では火種を保存していたと考えられます。また、掘り込み部のところは大きな柱の間隔が広くなっているので、住居の出入り口を兼ねていたようです。埋め込まれた土器の中に保存された火種を利用して直接食べ物を焼いたり、蒸し焼きにしたりしたのかもしれません。また、遺跡からは物をすりつぶすのに使われた石皿や磨石(すりいし)が多く出土しているので、ドングリやトチの実などをすりつぶしてクッキーやパンに近いものを焼いて食べていたのかもしれません。貯蔵穴の中には、秋に収穫したたくさんの木の実が蓄えられたのでしょう。

 竪穴住居跡から出土した石器 土偶の頭部(大きな土器の装飾かもしれません)

 石器も多く出土しました。狩りで動物を捕らえる弓矢に使われた石鏃(せきぞく、矢じり)、万能ナイフのように使われた石匙(いしさじ)、物を切ったり削ったりするのに使われたスクレイパー、木を切るのに使われた磨製石斧、土を掘るのに使われた打製石斧などがあります。

 出土した石器のほとんどは、山形県の最上川流域など東北地方の日本海側で採れる珪質頁岩(けいしつけつがん)という石を利用して作られています。奥羽山脈を越えて、石器の材料を手に入れる流通の仕組みがあったのです。湯坂山のムラからも、遠く離れたムラへと運ばれていったものがあったのかもしれません。

 珍しい出土遺物には、土笛があります。高さ6cm、底部の直径が4.5cmの釣鐘(つりがね)形で、上部には直径1.5cmの穴があいています。穴に向かって斜め上から息を吹きかけると、「ポー」という、素朴でかわいらしい音が鳴り響きます。

 土笛を吹く 土笛
 この土笛をとおして、はるか4,200年も前の縄文人が奏でていたのと同じ音色を聴くことができるのだと思うと、なんだか縄文人が少しだけ身近に感じられるような気がしてきませんか?


※土笛については「歴史コラム その1 土笛」でも紹介しています。
※土笛など湯坂山B遺跡から出土した遺物の一部は、村田町歴史みらい館に常設展示(寄託)されています。

湯坂山B遺跡のある丘
正面の町道を登りきった一帯の平坦な部分が遺跡です。天気が良ければ奥に蔵王連峰を望むことができます。現在の町道の部分が発掘調査されました。
湯坂山B遺跡
現在は畑や畜舎として利用されていますが、地下にはまだ調査されていないたくさんの住居跡とともに土器や石器が眠っています。
   
DATA
所在地 蔵王町大字円田字湯坂山
時代 縄文時代中期後半(大木9式期、約4200年前)
種類 集落跡
遺構 竪穴住居跡・貯蔵穴など
遺物 縄文土器・石器・土偶・土笛
見学メモ
町道の両側に広がる平坦な丘の一帯が遺跡です。
現地には説明看板を設置しています(町道沿い)。
遺跡の現状は畑地・山林・畜舎です(発掘調査をした場所は町道になっています)。

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